第一  至 第一〇

1**時間: 地點:
    (丙戌趕考)
    (丙戌正月,餘由伯兄穀城縣署北上應試,道出光化,與馬孝廉柘村偕行。)
    (馬君為伯兄乙酉湖北鄉試分房所得士也。)
    (行經河南滎澤口渡河。)
    (南省公車紛紛競渡,車多船少。)
    (由辰至午,竟難擊楫中流,勢須頭批船只運達彼岸,回空船到,方可成行。)
    (維時朔風肆虐,塵沙撲面,重裘幾不能支。)
    (遙望渡旁,數十武有一小村落,驅車往詢,知為邵家莊,同居一姓,為康節先
    (生後裔。)
    (當令僕夫暫將軍騾卸下,以惜馬力。)
    (餘與馬君坐於車箱避風候船。)
    (莊內一老翁憫餘等勞苦,特約至宅內烘秫稭火,並以小米粥相餉,意極可感。
    ()
AAA:(左屋設一藥肆,司事者另一翁,工柳莊術,顧謂餘曰)君等上京求名,不辭辛
    苦。觀君額角滿現黃氣,此番到京,定卜高中。異日名位,不可限量,可為預賀
    。
    (詢柘村能聯捷否,笑而不答。)
    (自維潦倒風塵,匆忙十載。)
    (此來河乾待渡,徘徊渡口,但有憔悴可憐之狀,敢詡鳶肩火色,希冀賓王?聞
    (翁所言,亦姑聽之。)
    (少頃,輿人來告,黃河中流泊有一船,當辭邵翁,立即驅車喚渡。)
    (日已向夕,匆匆上船,但聞河冰東下,打船有聲。)
    (仰視半輪殘月,掩映天際。)
    (迨登北岸,夜漏已交亥矣。)
    (舟中以梅村「一鞭夜渡黃河宿」詩句為題,與柘村各賦試帖詩一首。)
    (禮闈榜發,果然獲售。)
    (馬君暫時鎩羽,均如所言。)
    (後十八年來撫中州,馳往河上查工,道出滎澤口,為昔日停驂同渡之地。)
    (邵翁之子來見,詢其父,已委化多年;藥肆善相之某翁,早經他適,若存若沒
    (無從問訊。)
    (棖觸前塵昔夢,不覺感慨係之。)
    (俯仰之間,如同隔世矣。)
    (爰於工次為邵翁之子位置一事,藉資饘粥。)
    (大河南北,一時傳為佳話。)
    (今忽忽又二十年矣,拈筆述此,不盡憮然。)
    (懲辦庚子禍首)
    (和約第二次開議,懲辦禍首。)
    (各公使訂期在英館齊集。)
    (該館屋宇軒敞,並不限定中政府預會人數。)
    (維時李文忠公病癒,與慶邸同入坐。)
    (隨往者仍那相與餘及翻譯各員,與上次相埒。)
    (全權中坐,各使環坐。)
    (餘與那相坐於全權之後,各使對我情誼較為聯絡,禮貌亦較前次恭謹。)
    (英使首先發言,謂)
文 忠:今日特議嚴辦禍首一條,有名單一紙在此。但某意此案罪魁,確係端王一人。若
    能將端王從嚴處置,其餘均可不論。不知全權之意如何?
慶邸謂:端王係皇室懿親,萬難重辦。各國亦有議親議貴之條,此事斷不能行。我前日於
    私邸曾對諸君說過,諸君亦無他議,何以今日又復申此說?
文 忠:(英使笑曰)我亦知其辦不到也。
    (言次將單開各員名及所擬罪名,逐一朗誦,請中國照辦。)
    (單內人多,難以備彔。)
    (中如莊王載勛、右翼總兵英年、刑部尚書趙舒翹、山西巡撫毓賢,均請從重論
    (,餘以次遞減。)
    (全權告以莊王、毓賢誠有罪,總兵英年當時並無仇洋實權,不過聯銜出有告示
    (,原難辭咎,但詎能正法?至重不過斬監候罪名。)
    (至趙尚書舒翹,僅隨剛相往近畿調查情形一次,所居地位亦無仇洋之舉,更無
    (罪之可科。)
    (即謂其不應附和剛相,革其任亦足蔽辜,詎可重論?各公使亦唯唯。)
文 忠:(復謂)前數日諸位所言罪魁,並無啟尚書秀、徐侍郎承煜在內,今日忽將二人
    加入,此是何意?
文 忠:(詞未畢,義公使起而言曰)某前日謁中堂於賢良寺,曾問徐侍郎為人如何?中
    堂告餘曰,此人不好。七月初三,監斬許侍郎景澄、袁太常昶,即是他;十七監
    斬徐尚書用儀等,也是他;二十一日,兩宮西狩,逼令其父徐相國桐自盡者,又
    是他。此種人,中國不辦,各國只好代辦。
    (至啟秀之罪,日公使亦獲有憑據。)
文 忠:(愕然曰)我不過隨便一句話,爾竟據為實彔。
    (慶邸以他語亂之,義使始無詞。)
    (時已傍夕,各使謂,今日開議此案,未能議結,殊為可惜。)
    (請先散會,明日再具照會。)
    (慶邸出館時,餘曰)
私 謂:看此情形,英年、趙舒翹或可減罪。
    (詎越日,各使聯銜照會送到,堅執如故,不能絲毫末減。)
    (而德使復慫慂其統帥瓦德西,以急下動員令相恫喝。)
    (厥後均如來照辦理,罰如其罪者固多,而含冤任咎、捨身報國者,不得謂無其
    (人,只有委之劫數而已。)
    (籌辦西狩車馬)
    (餘由庚子五月十七日署順天府尹,七月十二日卸任,為時不及兩月,承辦要件
    (極多,而奉旨督辦京津一帶轉運事宜,尤為重要。)
    (時以釁端已啟,成敗未定,特命府尹籌備大車二百輛,以備萬一翠華西幸之用
    (。)
    (爰假轉運軍需之名,以鎮人心而備緩急。)
    (都下風鶴告警,京員眷屬紛紛南下,日需車馬為數不少。)
    (既經出京,一時不能遄回,輦下車馬更形缺少。)
    (而董福祥、餘虎恩所帶之兵,到處搶掠。)
    (京員自有之車馬,大半被劫。)
    (總以上情形,一時驟辦二百輛大車,甚非易事。)
    (因思京通十七倉,花戶約數十家,夙為倉蠹。)
    (彼等氣魄甚大,每戶以少數計,約有大車數十輛或百輛。)
    (若假以詞色,令其急公奉上,仍從寬給價,彼既享優價之利,而又得報效之名
    (,寧非所願。)
    (爰令大、宛兩縣剴切曉諭,該倉戶等均各樂從。)
    (不三日間,車轔馬蕭,輻輳於尹署左近。)
    (餘為編號,暗以兵法部勒,五車為一起,二百車分為四十起。)
    (遇有前敵各軍應需,車輛更番轉運,限七日為來回。)
    (然勿論前途所需如何緊急,必留車三分之一,不准拔動,專備內廷臨時之用。
    ()
    (詎餘甫卸任,後本任王君不甚解事,遇有各軍需車,盡數支取。)
    (而通州一帶敗兵充斥,擄掠橫行,此項車馬一去不能復還,三日之間署為一空
    (。)
    (餘時猶居署內,偶一出門,只見署之左近,空諸所有,不似日前肩摩轂擊景象
    (,心竊異之。)
    (詎十五日八鐘,軍機處蘇位傳信,謂趙堂請即刻前去談話。)
    (趙堂即趙尚書舒翹,時以刑尚入直軍機,兼管順天府尹事。)
    (餘疾趨入內,尚書)
笑謂餘:頃間兩宮有西行意,問君前辦之車馬尚存若干?
私 謂:(余謂)前辦大車二百輛,因前敵各軍轉餉孔急,截至十二交卸日止,計發出一
    百二十輛,留存八十輛,均專案移交後任收訖。
    (頃進內時,目睹府署前後左右,並無車馬。)
    (不知王府尹如何辦法,竟爾一輛無存。)
    (尚書愕然,囑餘回署轉告本任,從速預備。)
    (餘回各王君,渠驚懼之下,手足竟無所措,但有涕泣。)
    (餘亦無可如何。)
    (詎十六日八鐘,蘇拉又來,謂尚書請我仍到軍機處說話。)
私 謂:(余謂)是否並約現任順天府尹偕往?
笑謂餘:並不請王府尹。
    (餘心頗不謂然,第不能不往。)
    (余謂昨囑預備車馬一事,已轉告王府尹,渠焦急萬狀。)
    (今日公何不約渠商辦,而又促我前來,詎另有他事相委。)
    (公謂上西行意甚切,非車馬不行。)
    (此事保之(王府尹字)如何辦得來。)
    (我意請君不分畛域,助予一臂。)
    (前僱車馬既已載運無存,煩君另行代購二百輛以供上用。)
公 謂:(余云)此事此時,萬辦不到。從前人心未去,號令能行。各倉戶尚在京中,車
    馬在家,徒費膏秣。一經官家收用,咄嗟立辦。今則人心皇皇,倉戶避亂,轉徙
    一空。勿論二百輛,即二十輛亦無從僱用。此層請公原諒。尚有為公申明者,從
    前奉旨命順天府尹籌備車馬,餘固順天府也,自應遵旨承辦。今餘已交卸,負責
    自在順天府尹。第恐兩宮不察,謂餘係承辦之員,此時既有延誤,應餘執咎。餘
    雖不敢分辨,倘因而獲重罪,詎非冤甚!乞公於召見時,代為分別婉陳,免滋餘
    咎。
並 謂:餘今日即移家南城,不復寓署內。明日公若為此事,盡可向保之商辦,勿再約我
    。即約我亦不能來。
    (故示決絕,以免糾纏。)
    (實則尚未移家也。)
    (詎十七日八鐘,蘇拉又來傳信,謂禮親王在軍機處即刻候餘說話。)
    (是日,正值徐、立兩尚書、聯閣學授命之期。)
    (昨夜拿交提署,已有所聞。)
    (舉家正深惶懼,今忽聞禮邸請餘說話。)
    (妻女相對愁慘萬狀,不知此去是吉是凶。)
繼 而:(餘妻許夫人慨然曰)事已如此,勢難托故不去。君但放心前往,倘有意外不測
    ,家中事我自任之。
    (餘不顧而去。)
    (詎知一到軍機處,仍係尚書出見。)
    (乃知尚書慮以己名約餘不來,故特假稱禮邸相約也。)
    (餘疑慮頓釋,謂公今約餘,又係何事?尚書執前說,謂上問究竟能預備若干?
    (但有數十輛亦可濟用,不必二百輛之多。)
    (兩宮體恤如此,君敢不相助為理乎!餘故詢公曰)
謂 公:今日順天府來否?
    (公謂他不能辦事,未曾約他。)
    (餘至此不能不急,且不能不怒矣。)
公 謂:(因斂容對曰)此乃順天府應辦之事件,我現在並非順天府,一切事權不屬。公
    舍現任順天府不問,而獨向餘責難,豈以餘為可壓制,而將坐餘以諉謝之罪耶?
    (正彼此爭執間,榮文忠忽由宮門趨出,謂車馬之事,上知一時無從預辦,太息
    (曰)
文 忠:既無車輛,我們決計不走便了。
    (尚書聞之喜甚,餘數日憂懼為之頓釋。)
    (正擬退出,適徐侍郎承煜趨進,與文忠密語。)
    (餘從旁竊聽,大約監斬徐尚書諸人事,顧盼自適。)
    (文忠默然不發一言,侍郎喋喋不休。)
文 忠:(厲聲曰)我尚有事,不必再談!
    (掉頭回北屋。)
    (餘亦乘車歸寓。)
    (許夫及吾女,已望眼欲穿。)
    (越四日黎明,兩宮竟西行矣。)
    (餘不能麻鞋間道奔赴行在,迄今思之,較深內疚。)
    (岑春暄之崛起)
    (西林岑制軍春暄以門廕官水部,洊升京卿,因緣時會,出任粵藩。)
    (戊戌政變為康梁牽累,幾遭嚴譴,從寬改調甘藩。)
    (庚子勤王,帶隊由蒙古草地馳廿餘日夜達京師。)
    (各省勤王兵無一至者。)
    (制軍一旅不啻從天而降。)
    (兩宮褒獎逾恒,承恩遂由此始。)
    (餘適為京兆尹,任京津前敵各軍轉運事。)
    (制軍詣餘索取車馬,意在馳往前敵助戰。)
    (維時李鑒堂督部甫出京,督帶餘虎恩、張春發各軍馳往楊村等處。)
    (軍事孔棘,督部惟拚一死以塞責。)
    (大局已不可收拾。)
    (制軍親率材官、健兒,由草地來京,僅百數十人,餘軍尚馳驛需時。)
文 忠:(餘言之榮公曰)楊村已將不守,通州勢成岌岌。李鑒帥全軍恐致覆沒。若令制
    軍繼往,不過同歸於盡。人才難得,須愛惜之。
文 忠:君意云何?
公 謂:(余謂)某奉旨辦理轉運事宜,陽為接濟前方戰事,實則專備兩宮西幸,不至臨
    時周章。查昌平地近南口,為入宣府、大同要道,不如姑令制軍駐兵此地,藉資
    休息。徐觀世變,為異日之用。
    (文忠謂然。)
    (制軍不知底細,臨行意頗怏怏。)
    (餘亦不便明告之。)
    (未十日,都站飛牡,翠華西狩,道出南口,制軍就近首先迎駕。)
    (旋扈蹕由晉而秦,極蒙恩齎,遂躋開府,總制川粵,官符極其暄赫。)
    (後為項城所尼,不安其位。)
    (辛亥鐵路風潮,全國震駭,特起督蜀。)
    (甫至鄂中,武漢已發大難。)
    (餘時任北洋,電保制軍移督湖廣,責以規復鄂垣。)
    (詎知已微服扁舟,潛回滬瀆。)
    (卒徇黨人之請,首先列名,電迫朝廷遜位。)
    (臣節不終,識者惜之。)
    (當制軍▉無仕時,憑恃恩寵,嫉惡如仇,頗有赫赫之名,與南皮(張之洞)、
    (項城(袁世凱)相鼎峙。)
    (時論南皮屠財,項城屠民,西林屠官。)
    (三屠之名,流傳幾遍中外。)
    (又謂南皮有學無術;項城有術無學;西林不學無術。)
    (此言殊不盡然。)
    (制軍幼承庭訓,雅負權略。)
    (餘官京曹時,曾見其受業於吾鄉李苾園尚書之門,執弟子禮甚恭。)
    (部務之暇,輒手持一卷,拳拳服膺云。)
    (重修正陽門城樓)
    (庚子京師拳匪之亂,正陽門城樓化為灰燼。)
    (辛丑兩宮回鑾有期,餘奉命承修蹕路工程。)
    (以規制崇閎,須向外洋採辦木料,一時不能興工。)
    (不得已令廠商先搭席棚,繚以五色綢綾,一切如門樓之式,以備駕到時藉壯觀
    (瞻,然費帑已數萬金。)
    (餘旋外任,此項工程無人過問。)
    (漕督歲支養廉約九千五百兩,公費亦有萬兩。)
    (餘素崇節儉,不尚奢靡。)
    (當節省歲入一萬兩,作為報效重修正陽門城樓之需,以為各疆吏倡。)
    (計全國二十一行省,大省報效二萬,小省報效一萬,可湊集數十萬,保難剋日
    (興修。)
    (詎皆置若罔聞。)
    (遲之又久,某督入覲,面奉懿旨,謂門樓為中外觀瞻所係,急須修建。)
    (漕督曾報效銀一萬兩,各省督撫受恩深重,而竟置之不理,不知是何居心。)
    (太息久之。)
    (某督承旨後,始行電商各省,多方湊集,得銀三十餘萬兩,克期興工。)
    (經歲而工告竣,都城百雉頓復舊觀。)
    (惟查各省所籌之項,均係提用正款,並求一解私囊而不可得。)
    (南省某督素負盛名,至謂如此巨款,可惜徒事工作,何不移作興學之用,較有
    (實際。)
    (寧知學堂之害,於今為烈。)
    (試問今日革命巨子,何一非學生造成?棄禮蔑義,無父無君,恐非某督九京之
    (下所能預料者耳。)
    (崇禮避禍)
文 忠:(古語有之)塞翁失馬,安知非福?
    (此言良信。)
    (當拳匪肇禍時,崇尚書禮時任步軍統領,責司地面,與右翼總兵載公瀾臭味差
    (池。)
    (載公言之端邸,意欲▉之而未有間。)
    (適四恒歇業,兩宮召尚書維持市面,尚書諉之於餘,上意頗不懌。)
    (端邸以有間可乘,遂謀去公。)
    (言旨開去步軍統領,以莊親王載勛補授。)
    (勛固諂事端邸惟謹,而迷信拳教者也。)
    (步軍統領又名九門提督,即古之執金吾,管理京師地面,權勢重要,騶從尤極
    (暄赫。)
    (公御任之次日,以理藩院尚書入直,遇餘於東華門,一同下車進內。)
    (尚書往昔入直,材官、箭手、左右侍從約數十人,每過九陌,軟塵飛揚十丈,
    (朝野群相豔羨。)
    (至是入內,侍者僅僕役二人,與餘相似,意頗蕭索。)
文 忠:(顧謂餘曰)今日太不成局面。
    (余謂京師拳民充斥,彈壓非易。)
    (提督一官,尤難稱職。)
    (公已輕輕擺脫,豈不甚善?尚書默然。)
    (厥後,載勛任事,一味縱容拳匪,殺人放火,靡日無之,卒造成蒙塵之禍。)
    (各國公使在京議約,懲辦罪魁,載勛首罹其殃,適為尚書替人。)
    (猶憶洋兵入城時,以尚書曾任提督,禍幾不測。)
    (邸第為東城之冠,已為洋兵佔據。)
    (原存四恒銀七十萬兩,無從索回,隻身寓西北城窮巷養痾。)
    (餘曾往存問,尚書惟有太息。)
文 忠:(餘曰)當日公若久任提督,則今日罪名恐不屬之載勛矣,餘方為公賀,公何戚
    戚為?
    (丁寶楨之清廉)
    (嘗讀《論語》,於令尹子文之忠、陳文子之清,低徊往復,不能置之於懷。)
    (求諸近世,於吾鄉丁文誠公,如或遇之。)
    (公起鄉兵,毀家紓難,厥後率師勤王,褒獎之詔凡六下,懲辦私出內監安得海
    (,中外震驚,勛名尤為赫赫。)
    (侯家林、賈莊兩次合龍,省費以數百萬計,均東撫任中事。)
    (督蜀時奏改鹽法,剔除中飽,百餘萬悉數歸公。)
    (雖奸商勾結言官,騰章奏劾,謠諑繁興;至欽派大員查辦,初革職留任,繼以
    (三品頂戴署任,繼以四品頂戴署任,卒賴朝廷鑒公無他,始終倚畀,績用有成
    (,可謂忠矣。)
    (以上數大端,彰彰在人耳目,勿庸覶敘。)
    (至公之清,有非他人所能及,亦非他人所及知者。)
    (餘謁公於蜀中。)
    (蜀為天府,地大物博,總督名位暄赫,宜其取精用宏矣。)
    (詎知公一清如水,夔關每歲例解公費一萬二千兩,川鹽局籌定每年公費三萬兩
    (,均一介不取。)
    (所入者僅恃養廉一項。)
    (官雖制府,每年止養廉一萬三千兩,不及江蘇、河南巡撫養廉之數(兩省巡撫
    (廉銀每年萬五千兩),自奉部章減成發給,實計所得僅一萬一千兩。)
    (藩司按月分解不足千兩,一切幕僚薪工,均取給於斯。)
    (加以公自奉甚儉,待人甚厚,親戚故舊所識窮乏,希冀恩澤者不計若而人。)
    (公日在窘鄉,曾備衣篋一,用印文封固。)
    (每值缺乏,命材官齎入質庫,質銀二百金濟急。)
    (俟廉銀收到,即行取贖。)
    (曾見廚役向公索帳,出言不遜。)
    (公忿甚,欲驅遣之,而又無錢清還舊欠。)
    (正擬持衣箱付質庫,適成綿道王蓮塘觀察源來見,審公氣色改常,徐謂曰)
公 謂:公何憂之深也?
公 謂:實不相瞞,刻與廚役淘氣。藩司本月廉俸尚未送來,我又不便函催,是以窘耳。
    (觀察回署函知藩司,立將廉銀送到,乃得解此糾結。)
    (合署幕僚佩公清風亮節,均能敦品,各自刻苦。)
    (每值年節及公誕辰,群相趨賀,至不能備官衣,但以雙靴一帽,支應典禮而已
    (。)
    (公自奉每食四簋,而賓、祭獨豐。)
    (平生嗜好與和嶠適相反,身後一棺,蕭然幾不能自給。)
    (嗚呼!晚近以來,沽清名以欺世者多矣。)
    (實勵清節如公者,吾未之見也。)
    (乃歎公之忠不可及,公之清尤不可及。)
    (端王欲炮擊使館)
    (董福祥圍攻使館,相持日久。)
    
    
2**時間: 地點:
    (一日,端邸忽矯傳旨意,命榮文忠公以紅衣大將軍進取。)
    (紅衣大將軍者,為頭等炮位,國朝初入關時,特用以攻取齊化門者。)
    (嗣後並不恒用,棄藏至今,形式僅存。)
    (即訪當年諳習演放炮彈兵弁之子孫,現存亦屬寥寥。)
    (炮身量極重大,非先期建築炮架,不適於用。)
    (以地勢言,此項炮架,須建立於東安門內東城根,城外即御河橋,橋南西岸迤
    (邐數十步,即英使館。)
    (統計由城根至使館不及半里,各國公使參隨各員並婦孺等均藏身於館內。)
    (該館屋宇連雲,鱗次櫛比,倘以巨炮連轟數次,斷無不摧陷之理。)
    (不知該邸何以出此種政策。)
    (此炮放出,聲聞數裡,宮中亦必聽聞,亦斷不能演而不放。)
    (文忠心頗憂之。)
    (繼得一策,以炮彈准否,全在表尺。)
    (表尺加高一分,炮位放出必高出一尺之外。)
    (密囑炮手准表尺所定部位略加高二三分。)
    (轟然發出,勢若雷奔電掣,已超過該館屋脊,視線出前門直達草廠十條衚衕,
    (山西票商百川通屋頂穿成巨窟。)
    (該商等十數家環居左近,一時大驚,紛紛始議遷移。)
    (越日,收拾銀錢帳據,全數遷往貫市暫住。)
    (厥後,洋兵入城,各種商號均遭損失。)
    (西號獨克保全,不傷元氣,未始非此炮之力。)
    (各使經此番震撼,益切戒心。)
    (當議約時,各使猶復提及此事,意頗悻悻。)
私 謂:(餘李文忠公曰)當日演放炮彈時,尺碼若不加高,恐使館已成灰燼,各使亦難
    倖存。不過肇禍愈烈,索款愈多。求如此時之早定和局,戛戛乎其難矣!
    (文忠亦以為然。)
    (端王之顢頇)
    (已革端親王載漪,少不讀書,剛愎自用。)
    (自己亥冬間,其子溥雋立為大阿哥,朝中視線均集於該邸。)
    (滿大臣中竟有先遞如意,希冀他日恩寵者。)
    (所管虎神營,於神機營外獨樹一幟。)
    (庚子拳匪亂起,一意提倡之。)
    (維時某相國、某上公均授溥亻雋讀,皆篤信拳匪,恃以仇教滅洋。)
    (漪遂深信不疑,謂拳可恃。)
    (步軍統領已革莊親王戴勛,右翼總兵其弟載瀾,復附和之。)
    (凡拳民入京,赴莊王府掛號,即為義民。)
    (旬日之間,亂民集都城不下數萬。)
    (均首纏紅布,手持短刀,殺人放火,晝夜喧囂,有司不敢過問。)
    (各公使館由天津調兵入京自衛,苦於兵數無多,僅於東交民巷東、西巷口設卡
    (駐兵,與我相持。)
    (董福祥一軍經調紮正陽門、東安門一帶,保護內廷,嚴飭不准與洋兵衝突。)
    (董福祥帶武衛後軍歸榮相節制。)
    (詎載漪暗相結納,引為己用。)
    (福祥亦以滅洋自任。)
    (榮相再三戒飭,竟不聽命。)
    (實則福祥雖號知兵,僅與西域回匪結過硬仗,而泰西節制之師,彼實未經嘗試
    (。)
    (因之相持數月,擁數萬之眾,乘勢攻取,竟無如千餘守使館洋兵何。)
    (朝廷亦以攻使館為非計,特叫大起三次,凡近支王公大臣、內閣六部九卿,均
    (蒙召見,面詢方略。)
    (許侍郎景澄、袁太常卿昶力言釁不可開。)
    (言次激烈,竟觸載漪之怒,當面申飭。)
    (殺身之禍,即肇於此。)
    (嗣聞天津不守,外兵行將入京救護公使、僑民,盈廷士夫均意在從速議和。)
    (漪怒甚,遂矯旨先將許侍郎、袁京卿正法,以箝諸臣之口。)
    
    
3**時間: 地點:
    (未幾,而徐尚書用儀、立尚書山、聯閣學元相繼棄市。)
    (時距洋兵入城甫三日也。)
    (比時朝野震撼,人心皇皇,幾有朝不保暮之勢。)
    (總緣彼有恃而不恐,蓋欲早舉非常之事。)
    (而事與心違,大欲未遂,矯而出此。)
    (倒行逆施,致成兩宮西幸之局。)
    (而國事危如纍卵,已亦身敗名裂。)
    (哀哉!)
    (庚子留守北京)
    (兩宮西狩為七月二十一日。)
    (餘時尚在尹署,當與京尹王君培佑商酌,謂)
私 謂:和議即在目前,府尹為地面官,衙署局勢極宏敞,洋員必來尋問。君若不遠引,
    餘願偕君同洋員向機應付,徐圖補救之法。
    (王君無遠略,但思逃避。)
私 謂:(余謂)君若離此地,餘無守土之責,不得不先君行矣。
    (適前敵運輸車馬遄回數輛,餘急乘之,偕妻女出署。)
    (許夫人不令餘車先行,自為前驅,謂迎面倘遇敵兵,拚作一死,留餘身為國家
    (效力。)
    (友人胡硯孫觀察延,因亂回秦,所寓在黑芝麻衚衕,僅派家人看守。)
    (當即驅車暫寓胡宅。)
    (所見沿途避亂平民,萬人如蟻,均往西行,雅雀無聲,景象極為悽慘。)
    (困處胡宅三日,一無所知,但聞洋員並無惡念,亟覓慶邸(奕劻)議和。)
    (偶思譯署總辦舒君文,在署資格最深,與總稅司赫德頗有交誼,所居東四牌樓
    (九條衚衕,與餘宅望衡相對(後均升任大學士),中僅隔於甬道,爰命僕向彼
    (探問各方消息。)
    (維時敬尚書信、裕尚書德、那侍郎桐均在彼處,若不知餘之住址。)
    (聞餘尚在京,均各欣然約餘速往,會商要事。)
    (緣舒與赫德已經浹洽數次,又得日兵駐宅保護,隱然成為辦事機關。)
    (諸公述赫德言,各公使尋覓慶邸甚急,意在出而議款,甚至邸宅探尋多次。)
    (不如據此聯銜具奏,請飭令慶邸回京議約,便宜行事,與各國公使浹洽。)
    (余謂此論良是。)
    (但各國指名請慶邸還京,萬一兩宮不諒,慶邸亦在嫌疑之地。)
    (不若據情奏請欽派親信大臣,會同慶邸來京開議,較為妥善。)
    (僉謂為然。)
    (由餘擬就奏稿。)
    (時聖駕已抵山西大同,慶邸因病留滯懷來行館。)
    (稿雖擬定,無人齎投。)
    (譯署舊友吏部郎樸君壽(後官福州將軍,殉辛亥之難)亦在坐,平時頗以白首
    (馮唐為感。)
私 謂:(余謂樸君曰)君欲建功立業,此其時矣。
    (盍冒險一行。)
    (眾亦慫慂之。)
    (樸遂允。)
    (由餘另擬上慶邸公函,詳述原委,所具奏折,即請慶邸專弁逕達行在,守候恩
    (命。)
    (折中具銜者八人,昆中堂岡領銜,以次敘列。)
    (慶邸接見樸君後,即將原折派弁馳遞大同行在。)
    (時兩宮正啟鑾幸太原,接到此折件,即命慶邸迅速入京,並未另簡他人,但電
    (催李文忠迅速到京會同辦理。)
    (第駕幸太原時,竟將慶邸眷屬全行攜去,亦可以測上意矣。)
    (此八月初三日事也。)
    (同日,並派會銜入奏之八人為留京辦事大臣,漢大臣僅餘一人,實為慚幸。)
    (初十日,慶邸入京,傳諭明日午後一時,同在北城廣化寺會面,並約赫德同來
    ((庚申恭邸接見洋員即在此寺),餘與諸大臣均到。)
    (河山風景,舉目懸殊,不禁相對飲泣。)
    (款議須俟文忠蒞京,始能著手。)
    (先商之赫德,轉告各兵官,先行開放各城門,俾四鄉糧食、菜蔬照常入城,以
    (維生計。)
    (並戒各國軍隊強佔民房,搶掠姦淫,以保人格。)
    (赫德一一允諾。)
    (浹旬陰霾,已見一線曙光。)
    (此會誠大有造於商民也。)
    (赫德謂城內有外兵駐紮,可保無虞。)
    (附畿各州縣鎮市,聞尚有議和團勾串土匪、潰兵,肆行殺掠外人,嘖有煩言。
    ()
    (此事中國地方官應負責任。)
    (倘外兵出而剿洗,玉石俱焚,所傷實多。)
慶邸謂:(餘曰)爾可行知順屬各州縣,一律設防自衛。
    (幾忘卻餘已卸京兆任。)
    (余謂現任府尹王君培佑,不知逃匿何處。)
    (大、宛兩縣消息,亦復寂然,容即托人探訪。)
慶邸謂:(慶邸莞爾曰)我以為爾尚是順天府。但雖卸任,此事總得幫忙。
    (餘唯唯。)
    (邸又囑將此次會晤情形,詳細擬稿,即日六百里馳奏(時電線已斷)。)
慶邸謂:(昆相(岡)起而言曰)徐中堂桐以身殉國,從容就義,擬請附奏請恤。
私 謂:(慶邸勃然變色曰)徐相已死,可惜太晚了。倘早死數日,何至有徐小雲(用儀
    ()尚書論斬之事。
    (因言十七日早間,徐尚書諸人已拿交軍署。)
    (軍機入見,傳旨片交刑部,即行正法。)
    (榮相碰頭吁懇,謂外邊消息甚緊,京師岌岌可危,不宜駢戮大臣。)
    (即令有罪,亦須審訊明確。)
    (況本日係文宗顯皇帝忌辰,例應停刑,可暫交刑部獄中,訊明再辦。)
    (上不允,而徐侍郎承煜已承命監斬。)
    (文忠退出殿外,與我相遇,即曰)
文 忠:今日又殺小雲,駭人聽聞。此人必須保全,他日議和亦得一臂助,擬與君再行請
    起,代為乞恩。
私 謂:此數日間,吾二人亦犯嫌疑,恐難動聽。不如邀同蔭軒(徐桐字)、文山(崇綺
    (字)四人請起,力量較大。君在此少候,我立約彼等即來。
    (先商文山,謂與小雲雖無深交,亦無意見,可以同往。)
私 謂:(迨約蔭軒,渠冷笑謂文忠曰)君尚欲假作好人?我看此等漢奸,舉朝皆是,能
    多殺幾個,才消吾氣。吾子奉命監斬,不能代乞請。
文 忠:(廢然而返)事不諧矣。冥冥之中,負此良友,奈何!奈何!
    (此七月十七日事。)
    (小雲諸人之命,實斷送於此人之手。)
    (假使小雲尚在,今日議事,多一解事之人,豈不甚善。)
    (渠死事遺折,我不能代奏。)
    (慶邸談次,意極憤。)
    (餘等聞之,均各憮然。)
    (此為全權入京第一次會晤洋員,商辦和議之肇端,餘故詳為之記。)
    (高、張休致)
    (光緒庚子正月,朝廷舉行京察大典。)
    (順天府府丞高燮曾、通政司參議張仲炘,奉旨休致。)
    (二君湖北籍,翰林出身,在京薄有清望,不知緣何事罷斥。)
    (旨下日,都人士極為驚駭,至謂樞府不能力爭,戕賊善類。)
    (長白榮文忠公首贊樞廷,頗為清議所不滿。)
    (查吏部則例,府丞出缺,例由內閣侍讀學士及五品京堂共列入題本敘補,名曰
    (正本。)
    (另咨取都察院四科入道銜名,列為副本。)
    (一並請簡。)
    (邇時餘為內閣侍讀學士(學士二人,一人為張翼,非正途出身,例不開列),
    (通參業已被黜,光少尚未補人,鴻少某亦非正途出身,若論憲綱,應餘升授。
    ()
    
    
4**時間: 地點:
    (一日,謁文忠公邸第)
公 謂:高、張兩君特旨休致,餘不能換救,有慚清議。可若何?
文 忠:(余謂)往事勿論矣。
    (鄂籍科道中,雅負物望者,尚有京畿道御史胡孚宸一員。)
    (此次吏部題本,請簡府丞員缺,正本中只餘一人,照例升授。)
    (胡孚宸名在副本中,餘情願讓之。)
    (如胡孚宸硃筆圈出,楚弓楚得,匪特慰鄂人望澤之心,並可杜諫院多言之口。
    ()
    (文忠極以為然。)
    
    
5**時間: 地點:
    (未幾,吏部題本上達,文忠面請以胡孚宸升授。)
    (詎本內列名在胡之前者,乃工科給事中王培佑,日前因事召見,奏言拳民忠勇
    (可用,頗蒙記注。)
    (兩宮忽見其名,謂此人甚好。)
    (文忠承旨出,王培佑遂升府丞矣。)
    (到任未及三月,府尹出缺,竟邀特擢。)
    (所遺府丞一缺,仍歸餘頂補。)
    (適培佑奉差出京,府尹一缺即以餘兼署。)
    (迨其差竣回任,上以餘承辦接濟四恒巨款暨督理前敵轉運事,正資熟手,命幫
    (辦順天府尹事務。)
    (卒以王君辦事竭蹷,調署太僕寺卿,以餘署理京尹。)
    (再辭不獲,強起任事。)
    (時僅兩月,王君奉飭回任,餘署僕卿。)
    (緣端邸不慊於餘,幾為彼所中傷,不得不辭煩就簡,暫避凶燄。)
    (然此兩月中,身所經歷,頗多可驚、可愕之事,另有記載。)
    
    
6**時間: 地點:
    (未幾,翠華西狩,餘派充留京辦事大臣。)
    (適兩全權大臣入京議款,復令襄辦和約。)
    (旋奉旨實授京尹,支持危局一年有餘。)
    (竊幸兩宮回鑾,餘亦蒙恩簡任漕督,厥後調任湖廣。)
    (諗知高君燮曾掌教鄉邦,張君仲炘僑居白下,幾經盤錯,素志不渝。)
    (餘以其才堪起用,專折奏保,奉旨甄彔。)
    (未及來京預備召見,不幸國體改革,兩君亦先後物故。)
    (悲夫!)
    (翰林自命太高)
    (餘不入翰林,與玉堂諸君絕少往還,知其難於應付也。)
    (第有一事極瑣細而頗足增閱歷者;平遠丁文誠公寶楨,與朝邑閻文介公敬銘道
    (義論交,老而彌篤。)
    (光緒乙酉,餘在文誠西川幕府,以計偕北上。)
    (文誠謂京師眾正盈庭,朝邑尤副物望,到京必須往見。)
    (餘遵諭拜謁,極蒙獎借。)
    
    
7**時間: 地點:
    (未幾,文誠在蜀病逝。)
    (公子慎五觀察(後升任粵藩護理桂撫)囑餘往謁文介,乞為文誠作墓誌銘。)
    (文介允之,並謂可請曹竹銘殿撰篆蓋,王可莊(仁堪)殿撰書丹。)
    (均各允諾。)
    (文介墓志稿撰就,由餘持交可莊書楷。)
    (邇時京師刻工以琉璃廠西門翰文齋為第一,文介囑交翰文鎸刻。)
    (詎可莊忽來言,昨到翰文齋,見彼所刊成之字,與其筆意不合。)
    (凡所書銘石,必須廠東門龍雲齋刻工方好,可否改延龍雲刊刻。)
    (如不照辦,請將所書者撤回,另請竹銘書丹,自改篆蓋。)
    (談次極其激烈。)
    (當徇可莊之請,商之翰文,令轉交龍雲刊刻。)
    (翰文不允,謂此碑石見方二尺六寸,京師少見,此石運入鋪內,費十餘人之力
    (,哄動全廠。)
    (今若送往他鋪,面子上殊為難堪。)
    (復往龍雲,令其派人往翰文取石。)
    (龍雲亦不允,謂與翰文交好,同在廠中營業,跡近攘奪,不便逕取。)
    (此項生意,雖承王修撰照顧,情願謝卻。)
    (兩方面所言,均有至理,餘幾窮因應。)
    (商之文介,文介笑曰)
公 謂:文人爭名,商人爭利,轉費君調處矣。
繼 而:此事不難處分,我有一同鄉在琉璃廠碑帖鋪,可令其派人往翰文搬取碑石,即將
    碑石交龍雲,豈不兩便?將來碑文刊成,即令彼椎拓以酬其勞,君謂何如?
公 謂:(餘曰)謹遵命。惟此瑣屑細事,致勞中堂調停,心頗歉悚。
公 謂:(笑曰)他人能調鼎,我調石,有何不可?
    (維時文介為同官忌嫉,已開去樞廷差使,請假家居。)
    (故作此詼諧之語,以示曠達。)
    (然詞人遇事拗執,不易應付,亦可見一斑矣。)
    (會試之神助)
    (從來報施之說,儒者不廢。)
    (無心求報,其報愈神。)
    (前在蜀幕中談及文誠(丁寶楨)在籍治鄉兵辦賊、毀家紓難事。)
公 謂:(公慨然曰)昔年袍澤效命疆場者,不下數千人。久思奏請優恤,立祠饗祀,曾
    倩王壬秋(闓運)孝廉代擬一稿,不合奏疏體裁,擱置未用。忽忽又數年。久竊
    高位,無以慰死者於地下,言之心怛。爾時公並未命餘削稿,即餘亦無心見好於
    死綏諸君子也。
    (第年少好事,特就公所述大概情形,率成一疏呈閱。)
    (公謂中後段文義悱惻纏綿,微嫌前段敘事尚與當時事實未能符合,因略加改竄
    (。)
    (並將唐中丞炯前在川所帶援黔各軍陣亡將士,一並敘入。)
    (另行清稿交繕折處繕發。)
    (由擬稿至封發,時甫三日。)
    (折弁回,已奉旨:准於死事地方建祠。)
    (昔日黃沙白骨悉化青磷,誠宇宙間至慘之事。)
    (至是而春秋享祀,獲以升俎豆而薦馨香,公心為之大慰。)
    (繼餘辭公北上,適經某逆旅,夜中夢至一官廨,堂上設公案,中虛一位,餘旁
    (坐,案左右陳列各名冊,高可盈尺。)
    (堂下武裝軍士累累,群向餘叩首訖,歡欣鼓舞而去。)
    (醒後語計偕馬君柘村。)
公 謂:(馬君曰)君殆積有大功德,故得此夢兆,今科必中無疑。
    (到京應試,首場第一日,夜三鼓,接到題紙,首題為「子張問行」,全章節目
    (層出,頭緒紛煩,略一構思,竟無從著手。)
    (自維久慣落第,恐又虛此一行矣。)
公 謂:(姑假寐,忽夢中有人告曰)速起。
    (天甫明,正拈毫屬稿,第覺筆尖飛動,不假思索,汨汨其來,三藝一氣呵成。
    ()
    (冥冥之中,殆有神助。)
    (二、三場亦如之。)
    (榜發果獲售。)
    (後二十六年餘升授川督,請假回籍省墓。)
    (戊申元日敬謁文誠公祠,昭忠祠即在其右。)
    (入祠虔拜,不覺百感交集。)
    (時唐鄂生中丞丈致仕家居,約餘於文誠祠相見。)
    (餘述茲事始末,中丞亦為嗟歎不已云。)
    (軍機處之延革)
    (國朝官制,軍機處為最要,始設置於雍正朝,歷五世至咸豐。)
    (爾時天子當陽,乾綱獨斷。)
    (任是差者不過秉承意旨,撰擬詔諭,靖共夙夜,即為盡職。)
    (文宗末造,洪楊倡亂,糜爛至十六行省。)
    (每遇疆吏奏報及統兵將帥六百里加緊奏牘紛至沓來,日不暇及。)
    (文宗每日召見樞臣,詢問方略。)
公 謂:(僉云)敬候皇上訓示,不敢妄參一議。
    (聞某中堂年已衰邁,造膝時久,俯伏青蒲,竟至鼾聲大起。)
    (文宗聞之太息,但令內侍扶出,不忍加以責備。)
    (卒由上當機立斷,某事如何處分,某股賊匪責成某大臣剿辦;某疆吏有意推諉
    (,力加申飭;某將領剿匪出力,破格獎勵。)
    (一一處分訖,樞臣承旨而出。)
    
    
8**時間: 地點:
    (當時聖躬憂勞如是。)
    (厥後兩宮垂簾,親賢夾輔,一國三公,事權不無下移。)
    (各有聲援,黨禍遂因之而起。)
    (同治末年,穆宗親政未久,龍馭上賓。)
    (德宗衝幼,仍請兩宮垂簾。)
    (比時恭邸領班,長白文文忠、寶文靖、吳江沈文定、高陽李文正,均一時賢輔
    (。)
    (第和而不同,雖為美政,卒至群而有黨,未克協恭。)
    (文忠多病,文靖但持大端。)
    
    
9**時間: 地點:
    (當時推吳江主筆,高陽不肯附和。)
    (吳江勢孤,急召門人湘撫仁和王文勤(文韶)相助。)
    (仁和賦性圓融,不敢為左右袒。)
    (吳江病逝,高陽柄政,意在延納清流,以樹羽翼。)
    (南皮張香濤(之洞)閣學(後升大學士)、豐潤張幼樵(佩綸)侍講(後升學
    (署副憲)、宗室寶竹坡(廷)學士(後升侍郎)、瑞安黃潄蘭(體芳)侍讀(
    (後升侍郎)均以清流自居,慕東漢士風,輒以平章國故,摩厲群僚為己任。)
    (文正一一延攬。)
    (假借講官之力,排斥異己,仁和竟不安其位而去。)
    
    
10**時間: 地點:
    (當時清流橫甚,文正亦為所挾持,聲望頓為之減。)
    (法越事起,朝野僉責樞府處置失宜。)
    (甲申三月,適奉嚴旨,樞廷五大臣全行退黜,降罰有差,北屋為之一空。)
    (誠百餘年來未有之事。)
    (另簡禮親王世鐸、閻丹初(敬銘)、額小山(勒和布)兩相國、張子青(之萬
    ()尚書(後升大學士)、孫萊山(毓汶)侍郎同直軍機。)
    (諸臣均不諳內廷規制。)
    (越日,復命前充軍機處領班章京仁和許星叔侍郎(庚身)入直。)
    (時內政清明,八方無事,饒有太平氣象。)
    (然借海軍為名,營建園居,糜款至數千萬,亦樞臣將順之過也。)
    (朝鮮事起,中日失和,時則許尚書已物故,閻、張、額、孫諸大臣先後退出。
    ()
    (甲午冬,仍起用恭邸暨高陽李文正、常熟翁文恭(同龢)兩相國。)
    (丁酉,高陽病歿。)
    (戊戌春,賢王薨逝,常熟被逐,朝局又為一變。)
    (八月訓政,特召直督榮文忠公入京柄政,並統武衛五軍。)
    (庚子民教啟釁,兩宮蒙塵,卒能鐘簴無恙,法駕回京,固由兩全權因應咸宜,
    (而文忠造膝密陳,默回天聽,其功為尤巨。)
    (蓋樞府得其人則治,不得其人則亂。)
    (此中機括,間不容髮。)
    (迨文忠病逝,繼任非賢,爭權納賄,伐異黨同。)
    (不及十年,大盜竊國,陽借共和之名,暗窺神器。)
    (國既不存,而軍機處三字,亦遂無人過問矣。)
    (接濟四恒巨款)
    (當載漪恣睢用事時,餘適署順天府尹,有安撫地方之責。)
    (五月十八日,拳匪火燒前門外大柵欄某洋貨鋪,延燒廣德樓茶園,竟召燎原之
    (禍。)
    (大柵欄以東珠寶市為京師精華薈萃之地,化為灰燼。)
    (火燄飛入正陽門城樓,百雉亦遭焚毀。)
    (此誠我朝二百年未有之變。)
    (爐房二十餘家均設珠寶市,為金融機關。)
    (市既被毀,爐房失業,京城內外大小錢莊、銀號匯划不靈,大受影響。)
    (越日,東四牌樓著名錢鋪四恒,首先歇業。)
    (四恒者,恒興、恒利、恒和、恒源,均係甬商經紀,開設京都已二百餘年,信
    (用最著,流通亦最廣。)
    (一旦停業,關係京師數十萬人財產生計,舉國皇皇。)
    (餘適入內奏事,忽奉旨,令於召見軍機後入見。)
    (向例臣工叫起,均在軍機之前,此次忽命留後,不知上意所在,心切惴惴。)
    (亟趨詣朝房祗候,晤慶邸,略談數語。)
    (忽蘇拉來報,端郡王已到門。)
    (餘素無一面之緣,無從款敘。)
    (渠入門橫目以視,故為不屑之狀。)
公 謂:(慶邸亟謂彼曰)此是順天府尹陳某,在此預備召見。是我們衙門舊同事,署任
    京兆,現在地面上事全虧他。
    (渠唯唯。)
    (餘甫與周旋,內監已傳旨命餘入見。)
    (兩宮問地方安靖否?後問所管近畿各州縣有無民教相仇之案續行發生?末謂昨
    (日四恒因爐房被毀,周轉不靈,呈請歇業。)
    (四恒為京師金融機關,豈可一日閉門?我命步軍統領崇禮設法維持。)
    (他與四恒頗有往來,又係地面衙門,容易為力。)
    (詎彼只有叩頭,諉為順天府之事。)
    (爾是地方官,本難卸責。)
    (此事究應如何辦理,我想四恒本非無錢,不過為爐房所累,一時不能周轉。)
    (如以銀根見緊,官家可先借銀給他,從速開市,免得窮民受苦。)
    (爾可回署,傳諭該商等妥籌辦法,以三日內辦好為妥。)
    (承旨出,剛相候於門外,對余曰)
剛 相:四恒事太後曾向我談過,我謂非君不辦。但奉托一言,勿論如何,切勿牽累當鋪
    。至囑至囑。
    (余奉命已覺毫無辦法,聆剛相言更不知其意何在。)
    (當即回署,傳見大、宛兩縣。)
    (詎兩縣均係油滑老吏,不獻一策。)
    (治中王君係忠厚長者,詢之,亦不得要領。)
剛 相:(此事關乎民生市面,又奉特派,詎能任意延宕、空言搪塞?經歷邢君進而言曰
    ()尹署有事,治中、兩縣、經歷同見。接濟四恒,先須籌款。京師城廂內外,
    當鋪約一百十餘家,均係殷實股東。若命兩縣傳諭,每家暫借銀一萬,共有一百
    十餘萬,可救暫時四恒之急。且當鋪均有殷實股東,聞剛相亦有當鋪三處。
    (始悟剛相切托,毋牽累當鋪者以此。)
剛 相:(余謂)市面如此恐慌,當鋪與四恒風馬牛不相及,豈可以官勢硬借?
公 謂:(邢謂)四恒局面恢闊,各家當鋪均借有四恒之款,此時不過借官面,為渠籌劃
    拔耳。
剛 相:(余謂)君言甚善,惟早間奉上面諭,允拔官款▉助。既有官款,何必累及當鋪
    ?現與諸君但商此時如何承借,將來如何歸還,暨如何分配,如何抵押種種手續
    耳。自維一介窮京曹,與四恒素少往還,不知該商等內容底細。今奏借官款,勿
    論內帑,勿論部帑,責任均由順天府一人擔負。萬一四恒將來不能歸還,又將奈
    何?
公 謂:(僉云)此屬可不必顧慮,京中大宗商務,如木廠、洋貨莊、山西票莊、糧食鋪
    、當典鋪,均借有四恒銀兩,必有借券為據,即以借券作抵押品。如奏請一百萬
    官款,即令四恒將各商借券一百萬,存入府庫備抵,豈不切實?
    (餘以為可行,斟酌再四。)
    (票商殷實,並有山西老號為根據,當商縱令關閉,架上有貨,亦較他商為切實
    (,卒以二者借券為抵。)
    (議定,餘挑鐙自行削草,漏夜繕折。)
    (翼早奏上,奉旨允行,人心為之大定。)
    (查原奏係請官款一百萬兩,計內帑五十萬兩、部帑五十萬兩。)
    (內帑五十萬,越日即行發出。)
    (部款五十萬,餘請於王文勤王公韶,比時戶部為董福祥駐兵,司員星散,部庫
    (亦被封鎖,無從領取。)
    (而四恒需款甚急,文勤亦無所措手。)
公 謂:(適遇戎曹舊僚友某君告餘曰)聞君處分四恒事甚好,商民莫不感誦。戶部現駐
    董軍,部款未能領出,自係實情。但該部有內庫在東華門內內閣後門東偏,聞之
    先輩言,庚申文宗幸熱河,瀕行,敕戶部提銀一百萬存入內庫,此時當尚存在。
    何不一查。
    (翌日,入見文勤,備述始末。)
公 謂:(文勤曰)微君言,吾亦忘之。
    (立時傳諭所司,開庫發款,分交四恒領訖。)
    (厥後,兩宮西幸,洋兵入京,東華門為日兵佐守護。)
    (全權入京,百事待理,部庫五百萬餘款,均由某國捆載東去。)
    (而全權辦事處設立,需款孔亟,餘猶密令陶君大均權商日官,將內庫剩存五十
    (萬兩聯車運出,以濟急用。)
    (事後思之,誠為始願所不及云。)
    (禁止私運米糧出洋)
    (米糧私運出洋,為江南一大漏卮。)
    (餘官京朝時已有所聞。)
    (抵漕督任後,凡僚友至維揚來謁者,昌言不諱。)
    (奸商勾串官吏,通同作弊。)
    (由某人過手,由某口出洋。)
    (舳艫銜接,一季運出米石難以數計。)
    (而揚州守令陰主持之,以致不能窮詰。)
    (餘派員馳往,密為偵察,獲有實據。)
    (漕督有管轄淮揚地方之責,原可直接參辦,第江督劉忠誠待我厚,諄諄以江北
    (諸事相委托,知而不知,公義私交,均有未協,況此事應由彼主持,當即咨請
    (查辦。)
    (忠誠接閱後,登時震怒。)
    (以私運米石出洋為地方大害,揚州府縣膽敢庇縱;江寧僅隔一水,院司道府盲
    (然無知,致煩漕督來文詢問,尚復成何事體,於面子上亦多未便。)
    (初擬命材官持大令至揚,將守令拿往於江寧,嚴行處治。)
    (嗣恐人心震駭,姑從寬先行撤任,即交運司程雨亭都轉儀洛,歸案審訊。)
    (霹靂一聲,貪吏震懾。)
    (一府兩縣同時撤革,官方為之一肅。)
    (詎揚州府石守與鄂督張文襄係屬至戚,文襄欲為緩頰,已來弗及。)
    (但諉過於餘,謂漕督多事。)
    (厥後忠誠仙逝,文襄繼任。)
    (檢閱案牘,歷歷有據,無從與該守開脫。)
文 襄:(復謂人曰)即令實有其事,惟係江督責任,與漕督何干?仍不免多事云。
    (不圖公忠體國之大臣,竟出此等論調,竊所不解,而忠誠之遺澤遠矣。)
    (李秉衡之兩端)
    (海城李鑒堂督部秉衡,以川督奉命巡閱長江。)
    (維時拳教相訌,沿江各督撫會電略謂,內地拳民不可恃,各國戰事不可開,洋
    (洋千餘言,推督部領銜。)
    (朝廷雖不盡從,亦尚未顯示決裂也。)
    (自日本書記生山杉彬、德公使克林德先後被殺,戰事已起。)
    (某相國、某上公奏保督部知兵,電召來京。)
    (時維七月初三,正許、袁兩大臣授命之日。)
    (督部入景運門,某上公迎之於九卿朝房。)
    (餘適有他事,與馬軍門玉昆酌商(軍門奉命馳天津督戰),同在朝房。)
公 謂:(督部昌言於眾曰)前次沿江督撫電奏,我不知情,係張香濤竊用我名領銜。李
    中堂在廣東亦有電奏,朝廷任用此種人,焉得不誤大事。
    (某上公聞之,趨奉惟謹。)
    (亦若督部一到,前敵指揮裕如。)
    (督部亦沾沾自負,不憚頓翻沿江聯銜前議。)
    (迨其後請訓赴津,夤夜馳往榮文忠公邸第,屏退侍從,密)
謂文忠:洋兵如此利害,戰事哪有把握?我此番往前敵,但拚一死。可速電召李文堂迅即
    來京辦理和議。
文 忠:(愕然曰)君早間請訓,吾輩一同入見,君謂民氣不可拂,邦交不可恃,戰事必
    有把握,頗動兩宮之聽。何一日之間,所言自相矛盾如是之甚也。
    (督部默然,匆匆辭去。)
    (詎甫至楊村,所帶部曲半已嘩潰,督部亦遂吞金自盡。)
    (倘於請訓之時,以對文忠之語密陳於兩宮之前,未始不可回聖意。)
    (比時舍戰言和,各使適困館中,轉圜較易為力,條款亦何至如後此之虐,西狩
    (之行更可中止,國計民生保全甚大。)
    (督部不此之務,始以大言欺世,繼以一死塞責。)
    (畢命疆場,誠得所矣,而君子不敢焉。)
    (李端棻譴戍新疆)
    (侍郎獲譴後,又三日,吾鄉李尚書端棻亦遭嚴譴。)
    (尚書學問淵雅,性情篤厚,徒以為人所累,致罹黨禍。)
    (都人士莫不憐而諒之。)
    (新會某孝廉,乃尚書典試粵東所得士,繼之以婚姻。)
    (戊戌會試,寓尚書宅,地近則言易入。)
    (當變政之前數月,新政逐日舉行,朝野震駭。)
    (尚書時為倉場侍郎,封奏獨伙,均係變法維新,與平素舊學宗旨大不相符。)
    (門生故舊,紛紛訾議。)
    (餘目睹黨禍已成,竊代憂之。)
    (七月杪,禮部堂官不為司員王照代奏事件,奉旨六堂同日褫職,尚書超擢禮尚
    (。)
    (八月朔,由通還京,餘謁之於邸第)
謂 公:交非恒泛,不作諛詞。今日為公賀,恐明日將為公吊耳。
    (公愕然。)
    (時公門人貽司業▉亦在坐。)
謂 公:然則何以教我?
文 忠:(餘曰)時局如此,成敗利鈍,未能逆料。只有謝病辭官,尚是保身一法。
謂 公:初三日到任,已傳知閣部曹司,並發諭帖,此事豈能中止?
文 忠:(余謂)從前乾嘉時代,和珅擅權用事。閩中某中丞時為蘇撫,與和素通聲氣。
    後知和將敗,恐罹黨禍,亟思請疾,而又無詞可措。爰於大朝會時,觀瞻所係,
    故作失足昏暈狀,具折請假開缺,卒免於禍。
    (公盍仿而行之。)
    (公躊躇未決。)
文 忠:(貽君曰)此計甚妥,師座若肯棄此官,門生亦願棄微職,從公優游林下。
    (越日,公赴部履新,部中土地祠祀唐韓文公愈,例須行禮。)
    (公於行禮時,故為失足不起,眾目共睹,匆匆扶歸。)
    (即繕折請病假二十日。)
    (貽君亦同日請假,風義可佩。)
    (此假期內,波譎雲詭,幸在旁觀。)
    (迨十五日,張侍郎蔭桓奉旨遣戍。)
    (南城外士大夫群相議論,全集矢於公。)
    (公不得已,具折自行檢舉。)
    (奈是日適有內監他案發生,東朝震怒,閱公奏疏,謂為有心取巧,仍從重論,
    (發往新疆,效力贖罪。)
    (餘以公咎雖應得,而情有可原。)
    (從前原係托病,經旬日中之激刺震撼,公真病矣。)
    (而發遣不能緩期。)
    (竊不自揣,欲急友生之難。)
    (翌日,獨詣軍機處,面謁剛相,述尚書患病實情,求代展期起解。)
    (剛相意不謂然。)
    (餘復謂尚書原請病假在未獲罪之先,並非獲罪後方始請假,希圖逗留。)
剛 相:(謂)此係旨意,我不能代請旨。
    (聲色微厲。)
    (餘亦忘卻此乃密勿重地,小臣不能在此任意喋喋,幾成僵局。)
文 忠:(幸榮公出而言曰)君等所談何事,何尚未解決也。
謂文忠:(剛相色稍霽)君瞧筱石為人太好,現為同鄉李苾園遣戍事,求我展假。此何等
    事,你我何能擅便!
笑謂餘:(文忠略一沉思)發遣係奉嚴諭,即日啟行,豈能展緩?剛相之言甚是。惟有一
    通融之法,爾速到部傳諭,即日起解。官員遣戍,首站多宿天寧寺,已算遵旨出
    京。如實病,再具呈城廂司坊官吏,請假一二日,未嘗不可。公義私情,豈不面
    面懼到?
    (語未竟,拍手贊成曰)
剛 相:此計甚好,爾即照此辦去。
    (餘到部不移時,尚書已到,敬候發遣。)
    (餘送尚書至天寧寺,情話一夕,又為通融請假二日,部署行裝。)
    (自慚京員清苦,無力厚贐。)
    (越日,車聲轔轔,尚書竟賦西征。)
    (此戊戌八月事也。)
    (迨庚子七月,某邸參中外大員情通外洋十五人,餘竟附驥尾。)
    (折雖閣下,上忽詢及餘。)
剛 相:陳某曾在臣部當差,人極正派,且有血性,能辦事,天顏亦為之霽。
文 忠:(出語餘曰)此數日內,我與慶邸亦犯嫌疑,說話不靈。剛相說你好,尤足以動
    天聽。
    (後知剛相謂餘有血性,蓋指當日尚書遣戍,餘與彼在軍機處門外爭持之事云。
    ()
    (李鴻章知人善任)
    (李文忠公高掌遠蹠,才氣橫溢,中興名將,三朝元老。)
    (然功滿天下,謗亦隨之。)
    (當甲午之役,冒天下之不韙。)
    (餘時譯署任差,日譯公北洋所發電稿,折衝規畫,煞費苦心。)
    (和議告成,公奉使出洋,聯絡歐西各邦。)
    (丙申回國,命在總理各國事務衙門行走,餘始謁公於署中,極荷賞識。)
    (大臣留心人才,識量誠不可及。)
    (然餘賦性硜硜,公謁外無私覿也。)
    (戊戌六月,直督榮文忠公奏調餘往北洋差遣。)
    (餘以公為譯署長官,北洋又其久經駐節地,爰往辭公,並詢直省地方情形。)
文 忠:(公一見即謂餘曰)榮相愛才若渴,君又在部宣勤,為渠器重,奏調固意中事。
    但我意可以勿庸。直隸我曾任二十年,地方遼闊。君在部任差,不諳民事,貿然
    前往,恐未見長。若以邦交而論,北洋交涉雖多,豈能多於總署?不如仍在署中
    效力,藉資熟手。
    (餘唯唯。)
謂 公:君恐辜榮相盛情,不便辭乎?果爾,吾當為君函辭之。
    (餘三復公言,明決可佩。)
    (如貿然而往,於地方民事不能勝任,而交涉事誠不如譯署之重要。)
    (但若由公代為函辭,亦嫌突兀。)
    (天津距京咫尺,不如自往,婉言辭謝,因將此意告公,公亦謂然。)
    (翌日,蒞津謁榮文忠公,聆餘轉述公之言,即告餘曰)
文 忠:合肥真爽直人,意良可感,不可負之。但奏調已奉旨允准,若不前來,勢須譯署
    奏留。君速回京謁合肥,並述我意,請合肥具折奏留可也。
謂 公:(即日回京謁公)即刻奏留。惟此事之原委,我尚不週知,署中僚友亦恐不悉底
    蘊,不如君自擬一稿送來,較為簡捷。
    (餘遵擬稿送去,公即入署飭承辦司繕折呈閱邸樞各堂。)
    (翌日具奏,奉旨俞允,餘仍為京曹矣。)
剛 相:(事後本部尚書謂餘曰)君留部,餘亦得所臂助。餘早擬留君,懼乾榮相之怒。
    合肥竟能任此,誠為吾所不及。然合肥亦因人而施也,此意君不可不知。
    (劉坤一之通達)
    (寧鄉劉忠誠公坤一,以軍功起家,歷任封疆垂三十年,惠政甚多。)
    (庚子拳匪之變,公適任兩江總督,倡議與滬上各國領事,互簽保護東南長江一
    (帶之約。)
    (不動聲色措天下於磬石之安,其功尤偉。)
    (而虛懷雅量,尤有不可及者。)
    (餘與公素無一面之緣。)
    (辛丑冬,奉命督漕,甫抵徐州,公偵知,即由南京來電,謂脾弱多病,兩江地
    (大事煩,實難勝任。)
    (徒以時艱恩重,未敢懇辭。)
    (江南地方自揣可照料,江北地面遼闊,界鄰數省,伏莽最多,實難遙制。)
    (特請餘迅速到任,督率鎮道府縣嚴辦冬防,以懾賊膽而鎮人心。)
    (如鎮道有不率教者,盡可先行會銜奏參。)
    (緣同官一方,均有地方之責,切勿稍存畛域。)
    (一面嚴札鎮道,所有江北一切剿匪、治河方略,就近請示漕帥辦理,不必遠道
    (請示,輾轉需時,徒滋貽誤。)
    (公如此推誠相與,匪特鎮道服從維謹,即餘亦不敢以客卿自居。)
    (蒞任一年,盜戢民和,為淮上積年所未有。)
    
    

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